〜視聴者が求めるものとのズレが生じた品川祐が分岐点に〜
〜芸人の陰の努力や苦労話は「笑い」との相性がイマイチ〜
視聴者がお笑い芸人に求めるもの、それは「笑い」だ。
「さんま御殿」は芸能人のカップルが誕生しやすい場として定着した感がある。もちろんそれもさんま流の「お笑いの方程式」のひとつである。
具体的には、美女タレントが自分の憧れの人として、どちらかというとブサイクや影が薄いのを売りにする男性芸人と一緒にさんま御殿に出演する。
美女タレント「男性としてもすごく魅力的な方だなぁって……」
などと言われた男性芸人は、どうリアクションしていいか困って固まってしまう。そこですかさずさんまが「はい! いま芸人が一人死にました」と言って笑いを誘う。
そういう「笑いの方程式」を披露する場としてさんま御殿が定着しつつあることは確かだ。
このように、リアルっぽい恋愛の空気を作って笑いにつなげるのは「恋愛と笑い」の相乗効果で視聴者のウケがいい。いわば「陽の笑い」を作り出せるのが明石家さんまなのである。
それに対して「陰の笑い」を作り出そうとするのが品川祐だ。
彼はひな壇芸人としての技術を磨き、ブログ、小説、料理本、映画の脚本と監督と活躍の場を広げた。
それは並々ならぬ努力と根性と実践の結果であり、たいへんな偉業だ。
しかし、視聴者がお笑い芸人に求めるものは「笑い」である。
視聴者はときにテレビで「努力」や「根性」に涙したいと欲する。しかしそれが似合うのは女優だったり歌手だったりスポーツ選手だったりした場合に限られる。スポーツ選手の苦労話は笑いが目的ではないから視聴者に受け入れられやすいのだ。
努力や試行錯誤の苦労話がテレビのコンテンツとして価値を生み出すのは、基本的にお笑い芸人ではない。
もちろん、お笑い芸人の売れない時代のエピソードは貧乏ネタとして笑いになるが、それは売れなかったころの昔話として消費されるからいいのだ。
芸人がどうしたら売れるかと必死に考え、戦略を練り、徹底的に研究と試行錯誤を繰り返した苦労話は基本的に「笑えない」。
そうした陰の努力は笑いにはなりにくく、お笑い芸人の、売れない頃の貧乏ネタ以外の「売れるための努力と試行錯誤の苦労話」は「笑いたい」と欲する視聴者には受け入れられにくいのだ。
たけしもさんまも、若手芸人の売れない頃のハチャメチャな話や貧乏話はするが、どうやって売れたかの過程を苦労話として披露することはまずないんじゃないだろうか。
笑いをとるための苦労話でお客にしんみりされたらかなわない。それで笑いが取れるならなんぼでも苦労話するけどな。とか言いそうである。
ここで「ホームレス中学生」について考えてみよう。これは大ヒットしたが、読者や視聴者は「笑い」が目的というよりも「ものめずらしさ」や「感動」を期待して読んだり観たりしたのではないか。
もちろん貧乏ネタはお笑いの定番だから、相性がよくて客の関心も高かった。入り口は「お笑い」でも、出口では「感動」できる。そんなめずらしい組み合わせが大ヒットの要因だ。
これを著者の田村裕がしっかりと計算して狙っていたようでもあるが、そうでもないとも思える。
というのは、麒麟の田村裕はその著書「ホームレス中学生」でさまざまな笑いのエピソード(例:姉のスクーター)を散りばめて、一生懸命に「おもろい本」にしようとしていた様子が垣間見れるからだ。
「ホームレス中学生」は、お笑いネタがおもしろくて売れたわけではなく、お笑いと相性にいい貧乏を「きっかけ」に注目を集めた、めずらしい体験談がウケて売れたのだ。そういう本では、笑いを狙った小ネタはときに本編の邪魔になるのだが、けっこう笑いの小ネタが散りばめられていたようにおもう。
そして、本が売れてからの田村裕はお笑い芸人としては減速したようにさえみえる。貧乏少年からイヤミな金持ち芸人に、というキャラで笑いを成立させるも、さざ波程度の笑いを取れるだけで大爆笑には程遠い。
とはいえ田村裕には貧乏から金持ちへというネタが、相方の川島には有名タレントの彼女がいるというネタがあるため、知名度はバツグンに高まった。問題は、そこからどう笑いにつなげていくかだ。
話はちょっとそれたが、要は視聴者がお笑い芸人に求めるものは苦労話ではない。あくまで「笑い」なのだ。
品川祐はほんとうに並々ならぬ努力と苦労を積み重ねてきたのだろう。だが、それは品川祐だけではない。他のちょっと名の知れたお笑い芸人だって、人知れずたいへんな努力と苦労をしてきたのだ。
そんななか品川祐はお笑いのド真ん中ではなく、その周辺の延長線上、つまりブログや小説や料理本や映画の脚本や監督で結果を出すことができた。
品川祐がお笑い芸人でなければ、才能豊かなタレントして視聴者に好かれてカリスマ化するかもしれない。
だが品川祐はお笑い芸人である。苦労のカケラでもみせて感動を誘っていると思われたなら、笑いを求める視聴者にはそっぽを向かれてしまう。
人は当然受けられると思っているサービスを受けられないと、不満を持つ。
ラーメンを注文したのに、蕎麦が出てきたら、それがどんなにおいしくても、不満を持つもの。
笑いを期待したのに苦労話と努力話と成功話をされたら、どうだ俺ってすごいだろう、と主張されているようでちょっとイヤミにさえ感じてしまう。
たけしも小説や映画と活躍の場を広げて、いまでは「世界の北野」である。
初期の北野映画は日本国内でたいして見向きもされなかった。海外で高く評価され、日本でも手の平をかえしたように巨匠扱いになってからも、たけしは「どうだすごいだろう」と冗談めかしていいつつも必ず笑いを添えてきた。
品川祐は小説や映画で注目されて持ち上げられたとき、たけしがするような気の利いた「笑い」を添えられればいいのだが、視聴者にいまいち愛されていないようだだから、そのあたりの「笑い」の技術はこれからかもしれない。
以前、なにかのテレビ番組で品川祐は「お笑い芸人じゃない人がお笑いのことをああだこうだと言ったり書いたりするのがゆるせない」といった意味のことを言っていた。
お笑いに限らずあらゆる芸や作品は、それを観たり読んだり聞いたりしてくれる観客に楽しんでもらって、感想を持ってもらって、評価してもらってはじめて存在するといってもいい。
もしもお笑い芸人以外の人にああだこうだと言われてたくないならば、お笑い芸人サークル内だけでお笑いをやっていればいいということになってしまう。
映画も小説もお笑い芸人も、いろんな人にああだこうだと言われてなんぼである。
お笑いが大好きでお笑いへの意気込みを述べただけのコメントだったのかもしれないが、もし本気(マジ)で「お笑い芸人じゃない人がお笑いのことをああだこうだと言ったり書いたりするのがゆるせない」と今でもおもってるなら、小説や映画で頭角を表してきた彼の今後がちょっぴり心配だ。
さんま路線で「笑い」を第一にやっていくか。それともたけし路線で「ビートたけし」と「北野武」を上手に使い分ける様子を見習ってやっていくか。
品川祐はいま、分岐点にさしかかっているのかもしれない。
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2009年04月18日
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